2017-07-18 sisso りもとめめ子 私達修行者にとっては頭陀が出来ていることはある意味ブランドである事は暗黙の了解。頭陀行をやってる、本人もブランドの為「素晴らしい事」だと思っているし、周りの人達も頭陀をやってる人の話を見たり聞いたりしても、「素晴らしい」と思っているのである。頭陀は修行者にとっては一般人のシャネルやグッチの様に価値があるのである。 にほんブログ村